うつ病 退社を強要され、うつ病を発症した症例。

うつ病
  退社を強要され、うつ病を発症した症例

患者/30歳代、女性。
   背が高く、がっしりした体格。外見上、「うつ」を思わせるものは何も無い。

主な症状/
 主訴は、肩こり、冷え性、体のだるさ(とくに足)、頭重、頭痛、口内炎、口唇炎、生理不順。

症状/
 仕事の「配置転換」で、今までは主にデスクワークをしていたのに、電子部品の工場にまわされたり、営業のような仕事をさせられたり、3ヶ月の「休職」をいきなり言われたりと、まるで「やめてください」と言わんばかりの仕打ちを受ける。
 職場の上司とのおりあいも悪く、ひどくののしられたり(パワハラ)、セクハラまがいの言動も多いと言う。
 典型的な、「いじめ退社」ねらいの行為だと言う。
 本人も、「ストレスをためないように」と、心がけて気分転換をしていたのだが、不眠や不安症状も出てきて、内科にて、精神安定剤と導眠剤をもらってのんでいると言う(以上は第四診時に判明)。

その他の持病など(既往歴)/
 特筆すべき事項なし。

家族歴/
 特筆すべき事項なし。

東洋医学的 四診(所見)
 脈診/やや沈・遅。しかしこの「遅」は、昔スポーツをやっていた関係の方が強いか?
 舌診/やや白苔。
 腹診/下焦に「寒」がある。左側腹部に「寒」があるが、それほどきつくは無い。
 触診/両腕の内側(経絡で言えば、手の少陰心経上)に冷たい感じがある。

東洋医学的な概念的理解(診断)
 脈診では、脈がやや沈・遅と東洋医学でいう「気」の流れが良くない事がわかる。
 舌診はやや白苔と、ストレスの影響が少し内臓に来ているのかもしれない。
 腹診では、もっと胸に「もやもや」と澱(よど)んでいる感じがしても良さそうだが、そうではなく、手の少陰心経上のストレス反応の方が強い(触診)。
 この件に関しては後述し、検証する。

西洋医学的な理解
 近隣内科にて、精神安定剤と導眠剤を処方される。

治療と経過

初診/某年6月上旬
 「肩こり」が主訴だったので、肩こりの治療をメインにする。
 治療は「法」に従う。

 ストレス反応(手の少陰心経上の反応)がきつく出ていたので、気になってはいたが、こちらが聞いても本人が何も話したがらないので、無理に聞き出そうとはせず、「肩こり」の治療に専念する。
 しかしながら、当然、ストレス反応も治療点には加える。

第二診/初診から1週間後に来院。
 治療は「第一診」に同じ。

第三診/第2診から1週間後に来院。
 治療は「第一診」に同じ。

第四診/第3診から約2週間後に来院。
 この日初めて、「不眠」や「不安症状」を訴える。
 治療中の会話の中で、「内科で精神安定剤と導眠剤をもらっている」とはじめて話す。
 よくよく症状を聞くと、「足のだるいのが一番つらいが、手の内側(手・少陰心経上)もだるい」と言う。

 肩こりの治療から、うつ病に対する治療にメインをうつす。

 横田観風著『新版 鍼道発秘講義』に、
 「放心(乱心の事なり) 先ず肩、背の内を多く刺して、気を晴らし、後、毫鍼を以て、気海を久しく留め、陰陵泉に引くべし」とある。この治療法を参考に、患者さんに合わせて微調整しながら治療を行う。
 治療は上の治療法を参考にする。
 この患者さんの場合、手の少陰心経と手の太陽小腸経ははずせない。

 この患者さんは鍼に対して鋭い感覚を持っている方のようで、気海(任脈経)への鍼をしていると、「鍼をしている下腹を中心に『もわー』と、あたたかいものが広がる感じがする。足まで行く…」と言う。
 また陰陵泉(足の太陰脾経)に補的に針を入れていくと、「右をしたら右の頭が、左をしたら左の頭がスーッと軽くなる。気持ちいい」とのこと。

 補的に鍼を入れているのに、頭が軽くなる。
 結果的に瀉法になっている。
 おもしろい。
 なぜ、陰陵泉は陰経なので基本は補法なのに、「陰陵泉に引くべし」と「引く」という表現を用いているのかを納得する。

 治療直後、 「頭が軽く、スッキリしている」とのこと。肩のコリも触るとやわらかくなっていた。

第五診/第4診から1週間後。
 治療は第四診に同じ。

第六診/第5診から1週間後。
 治療は第四診に同じ。

第七診/第6診から約1週間後。
 治療は第四診に同じ。

第八診/第7診から約1週間後。
 「治療をはじめてからは、ひどい肩こりが無くなり(軽い肩こりはある)、一番軽い精神安定剤でも、生活できるようになった」と喜んでいる。
 治療は第四診に同じ。

 この後、だいたい週一回のペースで来院。治療を継続する。
 症状のきつい時は週二回、症状が軽い時は二週に一回。

 約半年ほど鍼と灸の治療を続け、かなり症状が楽になった頃から来院が飛び飛びとなり、「肩こりがひどくなると来る」という状態を約1年程続け、来院しなくなったので、一応、うつ病に関しては「治癒」として、カルテを閉じた。

感想(考察)
 この患者さんははじめは、「肩こりがきつい」と言って来院していました。
 冗談や世間話など、無駄な話はいっぱいするのですが、自分の仕事の話などになるとお茶を濁すような感じで、話したがらない様子でした。
 しかし、3回、4回と治療を重ねるうちに信頼してくれたのか、少しずつ自分の話をするようになりました。

 この患者さんは背も高く、がっちりした体格で治療中もよくしゃべり、良く笑い、私ははじめ、「うつ病」だとは、まったく思いませんでした。
 また、うつ病の患者さんは、顔の表情が乏しくなると言いますが、この患者さんの顔は彫りが深く、それが光の角度によって様々に変化するので、私は「表情がある」と錯覚してしまいました。
 たしかに、「今日は特にしんどいです」と言う日に注意深く観察すると、表情が少なくなっているのが解ります。

 初診時、腕をとって手の少陰心経をさわると、あきらかに、「ストレス感じております!」という反応が出ていたのですが、患者さんが何も言いませんでしたし、胸に「もやもやしたモノ」を感じなかったので、薬を飲むほど気分が落ち込んでいたとは思いませんでした。
 もちろん、「ストレスから来る肩こりかな?」とストレス反応も考慮して、手の少陰心経も治療点に加えて鍼を施していましたが、あながち間違いではなかったようです。
 
 この患者さんの様に、ストレスだからと言って、手の少陰心経上のストレス反応、胸のもやもや、胸の対応する背中のこりが3点セットが必ず現れるのではなく、また他の症状も明確ではないという場合もあるので、診断が難しい場合もあります。
 しかし、明確に患者さんの状態を把握しきれなくても、身体の現している反応を診て、治療することが出来るのが、鍼灸治療の素晴らしいところです。
 治療が進み、身体的な苦痛が和らぐと当時に、患者さんの側もココロを開いたり、信頼関係が生まれ、より良い治療になっていくモノです。

 我々鍼灸師のところへ、「ストレスです、治してください」とか、「うつ病です、治してください」と言って来る患者さんは多くはありません。
 おそらく、「鍼でうつやストレスが楽になる」なんて思ってないからでしょうね。
 はじめはだいたい、「肩こり」で来院します。

 しかしこの「肩こり」にも、肩の使いすぎによる「肩こり」もあれば、内臓の病気から来る「肩こり」、ストレスから来る「肩こり」などがあり、その症状はさまざまです。
 もちろん、肩こりの原因が違えば、そのアプローチのしかたも変わってくるのは当然です。
 何でもかんでも、「太い鍼ぶち刺して、電気バリバリ流してたらいい」と言うような、単純なものではありません。