心労からくる腰痛・背部の痛みの症例。鍼灸治療。

心労からくる腰痛・背部の痛みの症例。
  (心労の性質の違いで、鍼灸の治療効果が変わる症例。)

患者/70才代前半の女性。

主な症状/
 腰痛、背部痛(僧帽筋全体の痛み)が主訴。
 その他、食後の膨満感、胃部の不快感。

症状/
 以前より、月2回程度のペースで、「肩こり」と「腰痛」で来院されている患者さん。
 息子さん(40才代前半)が「末期のガン」であると診断されて以降、腰痛がきつくなり、肩こりが背部痛に変わり、食後の膨満感と胃部の不快感を常に感じるようになった。

東洋医学的 四診
 脈診/全体的に沈、遅。
    左右の関上の脈だけ若干浮いているような印象を行ける。
    脈管は硬い印象。
 舌診/舌は特に悪くない。
 腹診/心下に細いすじばり。
    臍(へそ)の少し上を中心に重だるい感じ。
    下焦はかなり冷えていて、ぽちゃぽちゃと水っぽい。軽く叩くと波打つような感じ。
 触診/右足の冷えが顕著。

概念的理解
 脈診と腹診、また触診でも冷えを確認した。
 湯液(とうえき=漢方薬)では、「太陰病」に属すであろうか。
 この患者さんを「ストレス」のくくりに入れて良いものか悩んだが、適当な西洋医学的な病名が思い浮かばなかったので、「ストレス」とした。

 「心労」という言葉が適切であろう。

治療と経過

初診/某年6月下旬。
 手の陰経の少海(手の少陰心経)と、神門(同前)に反応あり。やさしく、ゆっくり補法を施す。
 下腹部、下焦の「寒」に対し、補法を施す。
 同時に、かなり冷えていたので、充分温める。
 上腹部、心下のすじばりに対して、「補法的な散鍼」を施す。
   ※ 概念的には瀉法だが、補法でもすじばりが取れた。

 臍周辺の硬い感じに対し、浅く刺しすぐに抜くような手技を施す(即刺即抜)。
 伏臥位になってもらい、肩、背中、腰に刺鍼。

 本日は、「治療」と言うよりも、「相談にのった」という感じ。

第二診/初診の3週間後に来院。
 いくぶん、背部痛が楽になった程度で、その他は変わらず。
 治療は第1診に同じ。

第三診/第2診の1週間後に来院。
 特に変化なし。
 治療は第1診に同じ。

第四診/第3診の4日後に来院。
 坐骨神経痛(右側。腰椎椎間板ヘルニアあり)を発症。
 触診で、「右足の冷えが顕著」であった事と関連する。
 本日、息子さんに「黄疸」の症状が出る。
 治療は第1診に同じ。

第五診/第4診の1週間後。
 腹の感じが少し変わる。
 下焦の「寒」の領域が少し小さくなり、右側に顕著になる。
 おそらく、坐骨神経痛が右側に出てきたのも、この関係。
 治療は第1診に同じ。

第六診/第5診の6日後。
 治療は第1診に同じ。

第七診/第6診の2週間後。
 この日の4日前に、息子さんが死去する。
 かける言葉見つからず。
 治療は第1診に同じ。

第八診/第7診の1週間後。
 腹部へのお灸を追加。
 そのほかの治療は、治療は第1診に同じ。

第九診/第8診の1週間後。
 お腹の感じがかなり変わる。
 圧痛も軽くなり、下焦の「寒」も「冷え」程度まで軽減。

第十診/第9診の1週間後。
 「お嫁さんとやりあった」とこぼしていた。

 この後も、だいたい週一回のペースで治療。約半年ほど鍼と灸の治療を続け、かなり症状が楽になった頃から来院しなくなった。
 知り合いの方の話では、「栃木の妹さんの家(もしくは近所)に引っ越して行ったよ」との事。

 

感想
 上でも書きましたが、この患者さんの症例を、「ストレス」に含めるかどうか疑問が残るところですが、「こころ」と「からだ」の問題を考える上で重要と考えましたので、症例を紹介しました。

 まず、上の腹心の図を順番(初診→第5診→第9診)に見てもらうと、徐々に良くなっていく様子がよく解ってもらえると思います。
 つぎに、診療した日付に注目してもらうと、息子さんの病状が深刻になって行く時期は鍼の効果が低く、息子さんがお亡くなりになった後、鍼の効果が上がっているのが分かります。

 息子さんの病状がだんだん深刻になり、自分がお腹を痛めて産んだ一人息子を失う心労が、どれ程のものであるのかは、想像すらできません。
 その心配がつのる時期は、鍼の効果も限定的なのだったのかもしれません。

 息子さんがお亡くなりになった後は、もちろん悲しみの感情もありますが、「お葬式はどうする?」、「お墓は?」、「このまま息子の嫁と同居するのか?」など、別の心配事に忙殺されてしまい、それが逆に、悲しみを薄れさせてくれ、鍼の治療効果が上がったと考えられます。
 心労の「性質」の違いが、症状の違いになって現れたのかもしれません。

 ちなみに、この患者さん、知り合いの人に、「ガンにも効果が有る」と言われて、「キングアガリクスの錠剤」を80万円分買わされたそうです。人の弱みにつけこんで、高額のものを売りつけるその「知り合い」と言う人に、怒りを感じます。

 しかし、「一縷(いちる)の望み」を抱いて、わらをもすがる気持ちで、80万円もする薬を買ったこの患者さんを、私は、せめる気持ちにはなれませんでした。

 もう10年以上昔の患者さんですので、記憶があいまいですが、たしか、「無年金者」で収入が無かったので、70歳を過ぎてもパートに出られていたのではないかと記憶しています。
 「一緒に住んでもらっているのに、息子に迷惑かけられない。私の小遣いと孫のお菓子代くらいは…」と、言っておられた記憶があります。

 ここにも、日本という国の年金政策の矛盾を感じます。